東日本大震災 | 有限会社 海老原建築

有限会社海老原建築

Column

2024.03.11

東日本大震災

3.11。東日本大震災が発生した日。

2011年3月11日14時46分。

当時私はゼネコンの現場監督に従事していて、当日は東京都大田区久が原の戸建て住宅現場(多棟現場)にいました。

いまだに覚えていますが、地震が起きたときに丁度工事中の物件の中で大工さんと話をしていた最中でした。

揺れが起きて、激しく揺れてきたので「外出ましょう」といって急いで屋外に出たら、目視できるところにある離れたところのマンション工事現場の足場が、あり得ないくらいに左右に揺れている。。それをみて、これはまずいと怖くなった記憶があります。

幸いにも、私が当時住んでいた横浜市青葉区も現場も大した被害はなく、次の日も普通に現場は稼働しました。

当日は金曜日。色々調べるとどうやら震源が東北。実家のある茨城の方が震源に近い。
家族に連絡するもまったくつながらないため、結局翌日の土曜、上司に話をして午後から休みにしてもらい、車で帰省しました。同じく都内かな?にいた同郷の友人と一緒に帰った気がしますね。

道路は大渋滞。茨城に近づくにつれ、コンビニやスーパーや、物資はどんどんからの状態になっていく。状況がよくわからないので念のため自由ヶ丘のスーパーで水を買っておいたのでそこまで買い物に苦労はしませんでしたが、店に品物がほぼ陳列されていない、というのは異様な光景でした。

結局到着したのは夜。
結果的に家族は無事でした。ライフラインに被害は出てましたが。
それどころか、屋根に被害があって雨がしのげない建物等を次の日くらいから修繕しに行ってました。どうせすることないので手伝いで同行しましたが、やっている最中も近隣の方がうちもお願いできないかと話をされたりしてましたね。


実家がまあまあ大丈夫そうだったので、仕事に戻るわけですが、今度はガソリン問題が発生。
「ガソリンが不足する」ような情報が出回り、ガソリンスタンドにみなが殺到。確か私はそこまで行列に並んだりとかはなかったようには思うのですが、担当していた現場の大工さんから「ガソリンが入れられなくて困る、仕事にならないから監督が入れてこい」的な発言をされてカチンときたことがありました。被災したり、困っていたりしてみんなが大変なのに、自分の代わりにおまえがガソリン並んでいれてこいとはなに考えてるのか、、、と。別に揉めもせずその場はスルーして事なきを得ましたが。

仕事上で一番ストレス抱えたのはこのガソリンだった気がします。

でも仕方ないんでしょう。その大工さんにも生活がありますし、いろいろな事情があるのかもしれません。今よりも気が長かったので揉めなかっただけかもしれませんが。


人的にも財産的にも大きな被害はなかったので私は運がよかった方なんだと思います。

さて、国がよくいう「耐震化率」は、「新耐震」が基準になっていると思いますが、もうそろそろこの基準も見直すべきだと思います。東京都は、2022年12月に公表した「TOKYO強靭化プロジェクト」内で、新耐震基準の木造住宅の耐震化に取り組む方針を示しています。新耐震でも、1981~2000年に建設された住宅が対象。2000年から基準が改正されているためです。接合部等が明確化されました。

実際、熊本地震ではその被害差が如実。

-下記コラム参照

耐震性能 | 有限会社 海老原建築 (ebihara-arc.jp)

うちでも遅ればせながら耐震等級3を基本にして設計をしています。

どうしても省エネや意匠性に気を取られてしまいがちにはなりますが、「耐震」についても忘れないように。省エネ性能についても、電気・ガスなんかが使えなくなった場合、住宅の断熱性能はいよいよ重要にもなりますけども、住宅自体が壊れていないことが大前提ですから。

また、日ごろの体制作りも意識しておきたいところですよね。

我が家では、緊急セット的なものを用意して、決まったところに保管しています。でもまだまだ子供が小さいため、決まり事や緊急時の集合場所やらなにやらしっかりと整備しないといけないことは多そうです。

こういう日をきっかけに、忘れずに教訓として日々に活かしていきたいものです。